Good motion=Good life 豊かなくらしはよい動きから

いつまでも自分らしく、軽やかに、笑顔でいたい。健やかな体と心のためのおすすめエクササイズや、レッスン、講習会などをご紹介します!

思い返す…

元気と笑顔をお届けするフィットネスインストラクターの緒方美保です。 「自由に快適に動けること」は豊かな生活のためにはとても大切なことです。

「Good motion=Good life 豊かなくらしはよい動きから」軽やかに、自分らしく、楽しく過ごしていくための様々なエクササイズを神奈川県県央地区を中心に提供しています。一緒に元気になりましょう!!

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3.11

10年前

思い出してみる

今日は3/11。東日本大震災が起きた日。あの日から10年...。地震が起きた時、私は仕事が終わり帰りの電車に乗るために淵野辺駅にいました。エスカレーターに乗っていましたが急停止。次の瞬間、すごい揺れ。何とか上まで上がりましたが、ただただ揺れがおさまるのを待つしかありませんでした。揺れがおさまると、「ただ事ではない。家に帰らなきゃ!」と急いで下に降り、公衆電話に走り保育園に電話。幸いすぐに繋がり「こちらは大丈夫です。お待ちしてます。」とのこと。すぐに止まっていたタクシーに乗り込みました。道すがら集団下校をしている小学生たちが見える。娘はどうしているだろう...学校に留まっているかな...と心配しながら帰宅すると、ひとりテーブルの下で小さくなっている娘(T_T)余震もあってこわかっただろうに...。すぐさま娘を連れて保育園へ向かう。無事に息子も引き取り、帰宅。テレビから流れてくる津波のニュースを呆然と見ていたことを思い出します。

あの時は瞬時に判断し、動いたことで帰宅難民にならずに子どもたちとも合流できました。今は子どもたちの行動範囲も広がって、それぞれのスケジュールで動いています。今日、家族でどこに集まるかなど再度話しておこうと思います。

ちなみになぜか主人がどうしていたのか全く記憶にない笑笑 出張にでも行ってたのかな?

そして、今日

そして今日、あの時保育園の年中さんだった息子が無事に義務教育を終えました。小学校6年間、中学校3年間、1日も休まずに!!親ばか全開で~~~我が息子、エライ!!まさか、こんなに元気に病気ひとつせずに成長するなんて…震災から10年、コロナウイルスの流行、我が子の成長…命について、健康について、つながりについて…振り返り、思い出し、心に刻む…そんな一日です。
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15年前

想定外

実は息子は927gの超低体重出生児でした。3月末で仕事もお休みに入り、8月頭の出産に向けてお休みに入った矢先、4月6日の夜中、痛みが治まらず急遽病院へ。診察を終え、立ち上がろうとする私に「立たないで!!車いす持ってくるから!」と看護師さん。「大丈夫、大丈夫」と心の中でつぶやいていた私は一気に「大丈夫じゃない」モードに"(-""-)" 検診を受けていた病院はこのまま出産になってしまった場合子どもを面倒見ることができない、転院先を探すとのこと。こういうの、テレビで観たことある…大変ことになってしまった!!とにかく、がんばって、お腹の中にいて…と祈るしかありませんでした。その日がちょうど22週に入った日、流産と早産の分かれ目でした。子宮の緊張をゆるめる点滴を打ちながら転院先が見つかることを祈る。先生から「もしかしたら堺になるかもしれへん」と聞かされるが、朝になり「良かった!住吉に空きが出たからすぐ搬送する!」と。初めて救急車にのり、住吉市民病院へ…
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今はなき、住吉市民病院

当時、城東区に住んでいたので住之江区はかなり南。もちろん行ったことのない病院でした。到着して運ばれる間、天井や壁が見えるけど結構古い…えっ、ここで大丈夫なの?と不安に思ったことを覚えています。すぐに診察、開いてしまった子宮口を縛る手術をすることになる。手術室に運ばれるとそこはかなり新しい…そう思ったのが顔に出ていたのか先生が「病院がぼろくて心配やったやろ?手術室はリニューアルしたてやからきれいやろ~。安心して!ちゃんと設備は整ってるから」と(^-^) とにかく任せるしかない…祈るしかない…

出産…

とりあえず手術ができ、点滴を入れながら一日でも長く子どもをお腹にとどめておくための入院生活が始まりました。はじめの数日は完全にベッド上の生活。トイレにも行けませんでした。少しずつ落ち着いてきてトイレOK、シャワーOKになり、このままいけるのでは…と思っていました。が、4月30日の夜中、シーツが濡れていることに気づき、目が覚める。看護師さんに伝えると急にあわただしく…「破水してる」目の前真っ暗。先生が駆け付け「これから産むよ」と言われる。生まれて初めて脚がガクガク震える…大丈夫だと思ってたのに…急に産むなんて、今産まれて大丈夫なのか…不安しかない。それでも産むしかない。分娩台にのり、子宮をゆるめていた点滴は外され、収縮を促す薬が投与される。小児科の先生も駆けつけ、すぐに処置ができるよう準備している。

産まれた。先生が片手で持ってる。すぐに小児科の先生が処置に入る。生きているのか分からない。「大丈夫、すぐにNICUで診るから」と言われ、お願いしますとしか言えない私。

小さな息子

NICUで対面できたのは昼頃。小さな体に点滴、呼吸器、センサー、いろいろなものがつながれている。大きくなるまでおなかにいさせてあげられなかった…でも、そんなこと言っていられない。とにかく生きて!!頑張って!そう祈るほかない。

私の方はすぐに退院することができ、それからは毎日、面会の時間に病院に通いました。気道に挿管しているので口から飲むことはできないけど、少しづつ鼻から母乳を与えるので私は毎日母乳を絞り、パックに入れ、冷凍し、病院に運びました。幸い、母乳はよく出ました。途中、「たっくんまだそんなに飲まれへんから少しずつ持ってきて」と言われるくらい(^-^;

息子は肺に炎症があり、かなり危険な状態が続きました。弱った肺に酸素を送るための特別な機材(どこの病院にもあるものではないと言ってました)を使い、先生、看護師さんが24時間体制で治療をしてくださいました。面会時間に行くと「今日はたっくんにおしっこかけられたわ~~」など明るく話してくれる看護師さんたちにどれだけ救われたか…それでも、帰りの地下鉄に乗りながら涙が出ちゃうこともしばしば。

問題なければ本来生まれるはずの8月には退院のはずが、そんなこんなで10月まで、5か月間お世話になり、無事退院。自宅に在宅酸素療法の機材を入れてもらい、しばらくは酸素を投入しての生活でした。コロナ禍で知られるようになった「パルオキシメーター」も使ってました(^-^)

できることをやろう!

その後も定期健診、RSウイルスの予防接種(普通の風邪だけど肺疾患のある子どもが感染すると命にかかわる)など、病院にはお世話になりっぱなし。私の入院・出産・息子の入院・その後のケアで一体どれだけの医療費を使ったことでしょう…。日本の医療制度は手厚すぎる...と思っていますが、制度がなかったらどうなっていたことか(*﹏*;)我が家は一生分の医療費を使い果たしました!できるだけ病院のお世話にならないよう健康第一で過ごすのがせめてもの恩返し…だから、小学校6年間、中学校3年間、病気せず、ケガもせず過ごせたことは本当に素晴らしい!!あの時お世話になった先生、看護師さんたちにも改めてお礼を言いたい…♥♥ 献血に行くのも恩返しなのです。今月は行かないと!!

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姉と弟

旅立ち

今日の卒業式で久しぶりに子どもたちの姿を見て、ホントに大きく、立派になったな~と感じました。コロナ禍で在校生の見送りもなし、みんなで歌うはずだった「群青」もピアノ伴奏とフルートのメロディのみ。前で指揮を振る生徒、見つめるみんな。じっと心の中で歌うみんなの姿…切なくて、でもみんなの気持ちが伝わってくるようで…。大変な1年だった。当たり前にしていたことができなくなり、その大切さを思い知ったと思う。私の15歳の頃はもっとお気楽だった…笑笑 この先、まだまだいろいろなことが目まぐるしく変わっていくでしょう。この子たちが大人になるころはどんな世の中になっているんだろう。まぁ、どんな世の中になっているとしても、やっぱり大事なのは健康であること!自分だけでなく家族の健康も守っていきたいと改めて思いました。たくさんの人に助けてもらった命♥大切に、感謝の気持を忘れずに...
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さあ、また明日も元気にいこう(≧▽≦)